オープンソース、オープンソースと猫も杓子もオープンソースで洋々たる前途がインターネッツにたゆたうと喧伝されていたあのころ。
みんなの力を合わせて、でっかいことをやってやろう、胴元に好きにはさせないよ(本当にこういう表現なのかと問われると自信が無い)というわけで、主に
マイクロソフトからの締め付けを嫌ったとされるオープンソースな動きがあった、と思う。
あれから何年も経って、
リナックスがまあ普及して、それほど楽観的にみんなでちからをあわせよう論調は薄くなった、と思う。
今も疑問なのだけれど、力を合わせるみんなはどうやってごはんを食べるべきなのか、どうか教えて欲しい。ベンダーに勤務して有償の開発業務を行って、日曜日にもっと意味のある世界を変えるような開発を無報酬で。
無理だよな。
だから
iPhoneのアプリが
ビジネスとしてダメだという見解にはしっくりくる。人はパンのみにて生きるにあらず、されどパンなしには高邁なことを考えるのは厳しい。パンはどっか適当に調達して、高邁な理想に私財を投じろってことかよ。
できることを少し世の中に還元して、それでもっと楽しい世界にしてゆこうよ、という呼びかけならわかり易い。だからiPhoneのアプリは片手間でできること以上の
投資を拒んでいると思う。
だけどいちおう、開発側にも商売ですよという言い訳が欲しいから用意されているのがファンタジー的可能性なんだと思う。
投資に見合う爆発的な利益が生じる場所って荒れるからね。教養主義的でおきれいな理想が似合うハイソなイメージが失われるからね。
で、どっかんどっかん儲けたいなら胴元になるしかないわけで、みんなが材料を入れてくれる鍋を用意しないといけないだろう。しかし、鍋鋳造するのはたいへんだし、鍋の番をするのもたいへんだ。できれば回収したいけど、気持ちよく払ってもらいたいってことになれば「まほうのおなべ」っぽく偽装するやりかたはけっこういいかもしれない。
先にともかく力の限り他を圧倒するでっかい鍋を作ってしまって、他に鍋なんかあるもんか、でっかい鍋のうまい中身はちょこっと分けてやるからさあ鍋ん中身を寄越せってのも、なかなかいい
やり方だろう。みんなにごはんが行き渡るからね。
とはいえ、そもそもみんなにごはんを行き渡らせるなんてミジンコほども考えてないような鍋に向かって、オレが中身入れたんだからその分分け前を寄越せっても通じないってのが根本的な問題なのかもしれない。皆様のちょびっとづつの浄財で良くなった結果なんだから、世にあまねく鍋の美味が伝わることに意義があるなんて言われた日には、霞でも喰ってろってことかよと文句のひとつも返したくなるわな。
シリコンバレーでのベンチャーへの投資ってのも、だから直接的にはベンチャーへの投資なんだが、間接的にアップルへ投資してるって理解したうえでのお金の流れなんではないのかなー。鍋にカネを払うのが投資銀行なのか
NTTなのかっていう違いだけで。何が違うかっていえば、ごはんの心配をしているかどうか。投資銀行もアップルも、個別のベンチャーのごはんのことは考えてなさそう。でも投資で当座はごはんが食べられるから、まあ結果オーライってわけか。
ってことは、日本とアメリカでのはお金の流れの根本が違うってこと?
でもって、それはみんなのごはんを直接心配するかどうかってこと?
なーんてね。そんな感想を持ちました。
以下のエントリを読んだだけの範囲で。
『はてな
ポイント3万を使い切るまで死なない日記』
「コンテンツプラットホームとしてのiPhoneの設計は間違っている」
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090615/1245039092
「(続)コンテンツプラットホームとしてのiPhoneの設計が間違っている件」
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090620/1245499403
「ホルダーがコンテンツをつくらないプラットホームは微妙」
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090620/1245529318
美しい理想の影にはたいがい搾取の意図が見え隠れする。それでもまあアップルには頑張ってもらわないとMac使えないと困るからね。支払える範囲では対価を支払うよ。でもそんなの業務上の単なるコストだし、自分が支払い先をアップルに選定しているのは多分に情緒的な理由でしかない。ゆってみれば喜んで搾取されているんである。ダメじゃん。
posted by holoholo at 13:42| シドニー

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