2012年08月15日

「おおかみこどもの雨と雪」のなぞ

上は女の子、下は男の子、でこういうきょうだいを何組か知っている。
あれこれ試行錯誤を繰り返しつつ折り合いをつけて結果として独立心の高い姉と、不登校を経てお母さんとの蜜月も経てひきこもったりいろいろな弟、というきょうだい。

共通点はお母さんの趣味嗜好。私はこの「お母さん」たちがものすごく苦手だ。

本棚の本に共感を覚える人々が丁寧に分析してくれているので、あらためてその「お母さん」たちの好きなものごとを分析するのはやめておく。

共通点だけを考えてみる。というか、思い出してみる。それで、映画のなかでひっかかったことを挙げてみる。


ともかく勉強が好きらしい。権威ある思想書を読んだり、評価されている絵本を並べたり、講演会を聞きにいったり、不登校の弟たちをつれて権威ある相談先へも出かけてゆく。そして子どもを、とりわけ弟たちを学校にゆかない点で他の子とは違う特別な才能があるのだと、自身の勉強の結果の評価だと語る。

崖から落ちた花が、おおかみおとこと再会する夢?のシーンで「勉強」という単語を口にした瞬間に、たくさんの花たちを思い出してぞーっとした。

そしてたくさんの雨たちは、お母さんの期待を裏切らず、お母さんの期待に沿って「おおかみ」として人間社会から離れて暮らすことを選択する。特別な子どもが特別な姿であることを、お母さんたちは誇らしく思うらしい。

そして、本来であればもっと特別であったはずなのは「お母さん」たちの人生だという話をされる。おおむね高校生までの周囲やそれぞれのきょうだいと比較して高学歴である場合が多く、学生時代にいかに優秀であったか、そして現在もいかに「勉強」しているかを強調される。

思い出していると、そんな話を聞かされた当時の居心地の悪さも思い出す。
なんでそんな話ばっかりするの?
だから、とても苦手だ。



そんな話をするお母さんたちは、1950年代から60年代ごろの生まれだったような気がする。
雨と雪は不登校が問題になりはじめた時代の子どもたちかもしれない。

特別であったはずの花たちが社会的には評価されずらい時代に子どもたちに過剰に期待して24時間戦う父親は単身赴任でそれでも女の子たちは頑張っているよ、という時代背景を後世に知らしめる映画なのだろうと思った。

あとねー、明確に雨をおおかみおとこの代理にしかけてるよね。玄関から出かける後姿とか、服装とか。うまいことファンタジーにまるめこんでるけど、男の子にもたれかかるお母さんの気持ち悪さをきちんと表現していて驚いた。

雨は一定期間距離を置いたら戻ってきそうだけど。


雪の中と林の中を疾走するシーンはすごくよかった。よかったけど、飛んだり走ったりして視覚的な心地よさのあるシーンがないといけないっていう縛りがこんなに強いとは思わなかったな。疾走と飛行の到達点かもしれないけど。以降のアニメでは下火になりそうだ。


もひとつすっごい気になったのが、花の箪笥。東京のアパートに箪笥がふたつあったはず。金具の取っ手が付いた嫁入道具っぽい箪笥。小さいころの雪が引出を順に出して階段のように上っていた箪笥。あれは花の母親の嫁入道具だったんではないだろうか。鏡台は引っ越し先にも持って行っていた気がするが、箪笥はどうなったのか。実家の象徴だから置いて行ったとかそういうことなのか。てか、ああいう家具を嫁入道具にするっていう習慣がはっきりと残っていた時代の最後の方かもしれない、今が。

誰をひっかけるのかわからないフックが多すぎて映画の主題はよくわからなかったのですが、上映当時に映画館で見たよというのが20年ぐらい後には話題にできそうなので、20年後のために見ておくべきです。

というわけで、未来からの視点で見ておくべき映画だという結論。なぞについては20年後に。
posted by holoholo at 22:06| シドニー | Comment(0) | TrackBack(0) | 輝ける膜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

世に厨二の種は尽きることなく、最新技術は厨二の妄想を実現するためにある、というわけで「アバター」を観た。

世界三大厨二映画の栄えある空席を埋めるのは「アバター」だと断言できる。

他の追随を許さぬ厨二映画の最高峰としては「フィフス・エレメント」が存在したが、長らく二位と三位が空席であった厨二映画界に颯爽と現れた巨星、それが「アバター」。


どのあたりが厨二か、という話はネタバレを含むので、先に厨二映画を定義しておく。

<厨二映画の定義>
1 脚本を兼ねる監督がリアル厨二時代に構想を練っていると公式に述べている。

2 公開時点で最新の映像技術がてんこもりである。予算は潤沢。

3 ヒロイン役が新人または新進女優で露出度の高い衣装。

4 宇宙に飛び出すエスとエフ。

5 愛が宇宙を救うストーリー。




定義してみると空席は「エヴァンゲリヲン(新装版)」に決まりそうだ。


監督が脚本を兼ねていることに加えて、監督がある種のヲタクとして知られている点が共通しているようだ。


それはともかくとして、映画館で観る価値はあるといえる。特に3D上映は追加料金もまったく安いと思える。可能ならばアイマックスシアターで観るべき。映像が難しいセリフを通した思想から自由になり、ただ映像が全てという体験は素晴らしい。

アイマックスシアターは首都圏では数年前まで品川にありましたが、現在は全国で三カ所。名称も「IMAXアイマックス 109シネマズ」となっている。

アイマックスの劇場情報は以下のURLから。
http://109cinemas.net/imax/theatres.html



ストーリーは逆ポニョみたいなものでどうでもいいです。以下はネタバレを含みます。

シガニー・ウィーバー演じる植物学者は「ダイアン・フォッシーを演じるシガニー・ウィーバー」に見えて仕方がない。「植民地にやってきた博物学者」の戯画でもあるだろう。既に辺境での学者のあり方に対して無垢ではない現代では、非常に感情移入の難しい設定ではないだろうか。

また、1950年代から1960年代にアメリカで製作されたネイティブ・アメリカンの側(それまでの西部劇と比較して相対的に)から描いているとされる西部劇の影響というものがあるような気がしてならない。未見であるが1950年公開の"Broken Arrow"が該当すると推測している。

一次ソースではなく一次ソースを元にした映画や小説を元に得た知識の集積をサブカルと呼んでよいと思うが、ヲタクの限界というのはオリジナルのソースへの接触が難しいことによって発生するのではないかと考えられる。

一次ソースはおおむね苦く、ただ存在しているだけなので風景のなかから意味を見つけて自分で輪郭を描いて取り出す必要がある。誰かが描いた輪郭を収集するだけでも膨大な作業であり、ヲタクを責めるわけにはゆかない。とはいえ、誰かが描いた輪郭を集めただけでは新しい世界は見いだせない。ということなんだろう。

「アバター」が迫った一次ソースは映像表現であり、従って映像表現は全く新しい世界を体験できる。一方でストーリーは真面目に検証するとかなり問題を含んでいると考えられる。映像表現とストーリーが映画の二本柱だとして、少なくとも一方はこれまでにない世界を見せてくれるとすれば、十分に観に行く価値はある。

映画館で観るべき理由を付け加えるならば、非常にお買い得なパンフレットの存在を忘れてはならないだろう。銃夢(がんむ)のガリィがプリントされたTシャツを着たジェームズ・キャメロンの写真も掲載されている。銃夢の実写版映画はキャメロン監督で"Battle Angel"として製作中らしい。
posted by holoholo at 23:13| シドニー | Comment(0) | TrackBack(0) | 輝ける膜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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